鼻の奥にこびりついた硝煙の匂い。
鼓膜を切り裂く銃撃音。
突然の静寂。あちこちで微かなうめき声が聞こえる。
一体、・・・一体何が―――。
「これまでだ」
冷ややかな声。
「あんたには失望したよマスター篠井、もう少し楽しませてくれるかと思っていたんだがね」
部下として、最も信頼している男の嘲りの声。
裏切り―――。
いくつかの兆候はあったはずだった。気づいていたのではなかったか。あいつは、どこかおかしいと――。
だが、私はすべてのサインを無視した。
そんなはずはない、私の勘違いだ・・・そう思い込んだ。私は、あいつに心を許していたから。仲間だと信じていたから。
その結果がこれだ。作戦は失敗、部下たちは危険にさらされている。
後悔してもしきれないが、部下たちを私の自己欺瞞の道連れにするわけにはいかない。
何とかしなければ・・・、という焦りを嘲笑うかのように、手足は重く不様にのたうつことしかできない。
「さようなら、マスター篠井」
冷たく響く声、向けられた黒い銃口。
そして、轟音とともに真っ赤に染まる視界。闇に堕ちていく意識―――。
――― すべてが闇に包まれていく。
「!」
覚醒は急激だった。
ベッドに横たわる篠井の耳に、自らの激しい鼓動の音と引きつるような呼吸音だけが大きく響く。
また、あの夢を見ていたのだ。
軍を退役する引き金となった事件以来、篠井は悪夢という形で何度もあの出来事を再体験していた。
それは、夢という形で練りこまれているがゆえに、リアルな恐怖として篠井を苛む。
結局あの事件で一番の重傷者は、頭に銃弾を受けた篠井だった。一時は生命も危ぶまれたが、
弾丸は奇跡的に頭蓋骨で止まっており、篠井はどうにか死を免れることができた。
大きな傷痕を残しはたが、辛いリハビリと時間を薬に傷は癒えた。
目に見える傷は―――。
事件後受けたカウンセリングで、篠井の悪夢は「心的外傷後ストレス障害」(PTSD)が原因ではないかと説明された。
心的外傷後ストレス障害(PTSD)は、心に加えられた衝撃的な傷が元となり、後にさまざまなストレス障害を起こす疾患をいう。
発病のきっかけとなるトラウマには、幼児虐待、性的暴行、誘拐、強盗、テロなどの犯罪、交通事故や近しい人の自殺の目的、
犯罪の目撃、生死に関わる病気や怪我の経験があげられる。
患者の多くは、自分が自分でないような離人感や、不安神経症、睡眠障害、より深刻な依存症の原因となる、などの諸症状に苦しめられる。
篠井の場合は比較的軽度のものだという診断で、治療を受けてある程度改善し、再びテロ対策など危険を伴う職場に復帰をも果たした。
しかし、悪夢はGDの副隊長として正式に就任し、日々の勤務に慣れたころから再び始まった。
眠れない夜が続き、疲れが蓄積する。
このままでは、業務にも支障をきたす恐れもあった。
何とか眠ろうと努力をするのだが、夢は何度も篠井をあの現場へと引き戻す。
GDはかつて篠井が目指していた組織の姿そのものだった。
そこに自分の居場所を見つけてしまったがゆえに、今まで張りつめていたものが緩んでしまったことが原因だろうか。
だが、考えることは苦痛だった。
考えようとすれば、あの事件の中に再び入っていかなければならない。
振り捨てようと努力しているのに、結局は逃げ切れずに夢に惑っている。
いつまでも夢の残滓が体中にこびりついている。
全身が激しく震えていた。
篠井はパニックの兆候を感じ、アメリカで療養していたころにカウンセリングに教わったリラックス方法で、
少しずつ身体のこわばりをほぐしていく。息遣いが穏やかになった頃、篠井は自分が冷え切っていることに気が付いた。
悪夢による冷たい汗にまみれて、全身が冷たく強ばっている。
着替えなければ・・・。
ぼんやりと思うものの、身体を動かす気にはなれなかった。
震えるほどの寒いのに気管と肺が燃えるように熱く、頭の芯に鈍い痛みがある。
肌が異様に敏感になってるようで、少しの刺激が耐えられない。
関節の節々が痛みとだるさをともなって、動くことがおっくうだった。
篠井は自分が発熱していることにようやく気が付いた。
「Dr.に薬でも貰って・・・」
橋爪の端麗な顔を思い出して、篠井は言葉を途切れさせた。
病人に対する橋爪の対応はひとつしかないし、それは徹底したものだ。
そして、そこには階級すらも存在しない。
もし、熱があるということを知られてしまったら、確実にベッドに直行する運命にある。
副隊長として隊員の規範にならなければならない立場で、体調不良などかつての篠井には考えられないような失態だった。
このまま休んでしまいたい誘惑に抗い、篠井は身体を起こしたが、冷たい空気に包まれてたじろいだ。
身体の芯から震えが走り、歯の根が合わない。ここまでの熱を出したのは、何年ぶりだろうか。
篠井はのろのろと起き上がり、ふらつきながら服を調えた。
様子を見ながら仕事をしてみて、業務に支障をきたすようなら石川隊長に申し出て、休ませて貰うしかないだろう・・・。
しかし、石川隊長を探すまでもなかった。
篠井の目の前に、すでに橋爪医師が難しい顔をして立っていた。
「篠井副隊長、まさかお仕事をされるおつもりですか!」
「いや、だいぶ良くなってきたので・・・」
「その顔色で、ですか?熱がかなり高いですよ。今日はもうお休みください」
断固とした橋爪の口調に、篠井は早々に白旗を上げた。どうせ、病人を前にした橋爪には誰も逆らうことなどできないのだ。
「分かりました。それでは、石川隊長に話して今日は休ませていただきます」
この時間帯に石川がいるであろう司令室に向かおうとした篠井を、再び橋爪が引きとめた。優しい端正な顔が、
心配そうに憂いを帯びている。
「石川隊長には私からお話しておきます。篠井副隊長はこのまま病室でお休みください」
「それは・・・」
「無理にでもお連れしますよ?」
腕を組んだ橋爪に軽くすごまれて、篠井は黙って橋爪に従った。
休むと決めた途端に、体が不調を声高に訴えだすのが不思議だった。
橋爪にいざなわれたメディカルルームの病室の清潔なシーツに横たわると、もう二度と起き上がれないような気がした。
橋爪の言うとおりに薬を飲み、目を閉じたことろで意識が途切れた。
「どうして、ここの人達は自分の身体を大事にしないんでしょうか」
篠井の熱を示す体温計の数字に眉をひそめ、橋爪は解熱剤と抗生物質を手早く注射した。
篠井は苦しげな息をするばかりで、目覚める様子はない。
篠井の肉の薄い顔立ちはどこもかしこも線が細く、こうして固く目を閉じていると壊れやすい彫像のようにも見える。
そんな篠井が苦しげにしていると、余計に脆さを感じさせずにはいなかった。
橋爪は篠井の寝息が穏やかになってきたことを確かめてから、石川に報告すべく部屋を後にした。
微かな空気の動きが篠井を目覚めさせた。
久しぶりに何の夢も見ずによく眠ったためか、熱もかなり下がって気分はすっきりしていた。
まだ幾分関節にだるさを感じるものの、もう回復に向かっていることは明らかだった。
メディカルルームの扉が開き、マーティの淡い金色の頭が部屋をのぞいた。
「篠井さん、目が覚めましたか。もう、大丈夫ですか?」
「ああ、マーティすみません、あなたにも迷惑をかけましたね」
「とんでもありません。でも、これだけ入れ替わり立ち代り隊員が様子を覗きに来たら、ゆっくり休むどころじゃありませんね」
「・・・石川隊長と岩瀬SP、三浦先生とは話しましたが・・・?」
あとは誰とも話していない。ずっと眠っていたのだろうか。その間、人の気配に気付かずに?
「ええ、クロウが篠井さんの寝顔を見たと言い出して、あとは他の連中も見たいと騒ぎ出して・・・」
入れ替わり立ち代りとマーティが指を交差させた。
「・・・寝ていたようです。まったく気付きませんでした・・・」
石川隊長にはもっと気を緩めてもいいと言われたが、これではいくら何でも無防備すぎる。
篠井は自分の間抜けな寝顔を隊員たちの話の種に提供したのかと、少なからず動揺していた。
「それだけ、休息が必要だったということですよ。顔色も随分よくなっています」
マーティのフォローはありがたいが、顔色云々を口にするあたり、マーティも篠井の寝顔を見たということではないのか。
篠井はため息をついたが、それほど悪い気はしなかった。
人の気配に飛び起きなくてもいいほど、ここが安心できる場所だということだ。
まさか、自分にそんな場所ができるとは思わなかった。
ようやく苦笑を浮かべた篠井に、それまでそれとなく顔色をうかがっていたマーティも息をついて笑いかけた。
「さ、キシタニからオジヤとやらを預かってきました。食べれますか?」
マーティに促されて、篠井は匙を取った。
ほぼ1日ぶりの食事は、篠井の胃に染み込んで、身体の内から暖かくしてくれる。
半分ほど食べて匙をおいた篠井に、マーティは薬を飲んでもう一度寝るようにと厳命した。
「寝すぎたくらいですよ」
「いけません。ほら、暖かくして」
肩を優しく押し倒し、首までしっかりと布団で覆う丁寧な手に、篠井はふと思い出し笑いをした。
「篠井さん、どうかしましたか?」
「すみません。少し、思い出してしまって」
「もしかして幼馴染のロイド兄弟のことですか?」
マーティが興味をあらわにした。
今まで遠い存在でしかなかったハリウッドスターが、身近にいる篠井の幼馴染であると知れば、
なんとなく親しみを感じて興味がわいてくる。
機会があれば、誰もが篠井の口からロイド兄弟のエピソードを聞きたがった。
「ええ、双子なせいか、いつも一緒にいるせいか、二人ともいつも一緒に病気になるんですよ」
篠井は懐かしそうに目を細めた。
柔らかい表情を浮かべる篠井に、マーティは思わず目を見張ってしまった。
いつもかけているメガネが無いせいか、繊細な顔立ちが優しい色を纏うと、教会の聖画を見るようで、
普段の篠井とのギャップに少しどぎまぎしてしまう。
双子が一方的に懐いているような印象があるが、双子の話をしている篠井はこんな表情をしているのか。
その篠井の顔をもう少し見ていたくて、マーティは話の続きを促す。
「私に感染るといけないから、傍にくるなと言うくせに、帰ろうとすると泣きそうになるんです。結局こっそり会いに行ってました」
「喜んだでしょう?」
「ええ、それで入れ替わるように私が寝込むと、どうにかして私の寝ている部屋にやってきました」
そういえば、この双子は篠井が頭に傷を負ったときも、誰にも言わなかったのに病院まで駆けつけたという話だった。
「そして、私の看病をすると言ってきかないんですが、何せ子供だったので結構大変な目に合わされたものでした」
時折、思い出し笑いをしながら篠井は双子たちとの思い出を話す。
初対面ではとっつきにくい印象を与えるが、実は篠井がとても話がうまい。
マーティはいつの間にか引き込まれて、双子の真剣だけれどもとんでもない看病の話に大笑いしていた。
「楽しい話だったので、つい長居をしてしまいました。すみません、もう本当に休んでください」
話が一段落したところで、マーティはもう一度篠井の布団を整えて、部屋を出た。
もう夜も遅いのか、マーティが出て行くと、感知システムが部屋の明かりを落とす。
だが、そこにあるのは真の闇ではない・・・。
しばらく夢は見ないような気がしていた。
いや、見たとしても今度こそ立ち向かえるはずだ。
あの事件で篠井はたくさんのものを失った。
そして、身体にも心にも大きな傷を負うことになった。
どんなに悔やんでも、嘆いても失ったものは、もう戻りはしない。
事件前の篠井澪に戻れることは、二度とない。
だが、どんなに苦しくても、挫折しかけても、頑張り続けた人がここにいる。
転んでも、悩んでも乗り越えて、諦めなかった人がここにいる。
その人、石川悠という男と知り合えたその幸運に、篠井は感謝する。
昔に戻れないのなら、今の篠井澪を築き上げていけばいい。
「シア、レスニーお前たちに、この場所を・・・、私の決めた居場所を見て欲しい。いつか・・、近いうち、に・・・」
篠井は穏やかな気持ちのまま、ゆるやかに訪れた睡魔に身を任せた。
<2007.06.22/ddより>
TATANさん、第2段目vv (ってか、早っ!)
しかも。今回のは「篠井さん風邪で倒れた」時の話でvv なにやら篠井さんの暗い(?)部分が・・・(も、萌えです!)
それと、なんだかマーティがとっても可愛らしくて・・・新たにそんな萌え衝動が発動しそうでした!(←いらん?笑)
そして、何より・・・・双子の話をする篠井さんには、もう勝てませんっ!!
子供な双子に、(どうなってもいいから!)看病されてみたい・・・・と妄想する私がvv(←だから、いらんって?大笑)